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「北朝鮮による拉致・人権問題を考える市民パネル展」開催のお知らせ

2007/05/16 22:05
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ダントンです。救う会からパネル展の紹介がありました。
ダントンも関係しているよど号グループに真相を究明する会
もパネルを展示予定です・

以下転載

『北朝鮮による拉致・人権問題を考える市民パネル展』

今回、展示予定のパネルは横田ご夫妻と同じマンションに住む
住民有志がご夫妻の拉致被害者救出活動を行っているあさがおの会
と北朝鮮人権問題に取り組む北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会及
び政府未認定の拉致事件の可能性がある事件を調査している
特定失踪者問題調査会から提供を受けました。


日時:5月19日(12時から20時まで)20日(10時から19時)
会場:藤沢名店ビル・6Fギャラリー

http://www.fujisawa-meiten.com/

主 催:北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会
共 催:よど号グループに真相を究明する会
協 賛:拉致被害者と家族の人権を考える湘南の会実行委員会
後 援:アムネスティ・インターナショナル日本・湘南地区有志
後 援:藤沢市・鎌倉市・逗子市

問合先:090(9816)2187又はsukukaikanagawa@hotmail.com

パネル提供:特定失踪者問題調査会・あさがおの会・北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
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謎の男、小川淳に逮捕状@

2007/05/11 13:45
ダントンです。昨日以来、報道が出ていますが
よど号グループに後から合流したした小川淳こと赤木(旧姓米村)邦弥
に警視庁公安部が逮捕状を取りました。
小川に関して少し紹介してみたいと思います。

http://haloscan.com/tb/trycomp/6326
より転載


■小川淳(仮名)  本名:米村邦弥(よど号犯赤木志郎の妹との婚姻届けを出したため現在の本名は、赤木邦弥)

1、経歴

1958年生まれ 熊本県出身
学生時代・神戸大学に在学
第四インター所属・1978年に成田空港管制塔占拠事件に参加 「本人談」
1980年代前半に欧州から北朝鮮に入国
1990年代前半からよど号グループ機関紙「お元気ですか」に登場
肩書きはジャーナリスト

2、家族構成
入国後、やはり後から北朝鮮に入国したよど号メンバー赤木志郎の妹・赤木美智子と結婚し子供が一人いるようである。妻の赤木美智子は2003年4月に帰国、罰金刑が確定しており、一人の娘もすでに帰国している。


【反核運動とよど号犯】
1970 年代末からヨーロッパを席巻した「反核」運動の波は、ウィーンを中心にヨーロッパ在住の日本人留学生の間でも広がり始めた。運動は日本でも「文学者の反核声明」などあらゆる団体が反核声明をだすような広範囲な関心を呼んだ。この時の「反核運動」は、背後にアメリカのレーガン核戦略に対する東側の政治的な意図が秘められていた。東側の核は問題とされず、西側の核だけが問題にされたのである。日本で、公然と異論を唱えたのは評論家の吉本隆明氏くらいのものだった。

この東側の意図を背後に秘めた「反核運動」を利用しようとした勢力がある。北朝鮮である。北朝鮮はこの運藤の高揚を政治勢力の拡大につなげ、チュチェ思想の宣布を狙ったのである。実際の工作はよど号犯グループが担当した。ヨーロッパでの「反核運動」の中心地の一つであったウィーンは、石岡さん、松木さんが「ウィーン旅行」に誘われ拉致されたことからもわかるようによど号犯グループの工作拠点でもあった。地の利があったのである。

よど号犯の工作は、リーダー田宮高麿の指揮の下、岡本武(拉致されたと思われる福留貴美子と結婚していた)が実際に動いた。岡本武は、まず宣伝扇動のため雑誌を発行した。雑誌は「おーJAPAN」と名づけられた。1978年の創刊から号を追う毎に内容は広がりを持った。のち、この「おーJAPAN」は、日本人の「有名人」を顧問に迎える。それが、哲学者久野収と宇井純氏であった。これによって「おーJAPAN」は日本国内でも反核運動の中心的な情報誌となる。



この時の「反核運動」は日本で燃え広がった。抗議行動や集会では数万人規模の動員力を持つようになった。“ダイ・イン”と称して地面に寝ころぶ「死に真似」パフォーマンスが繰り返された。「反戦」という言葉に代わって「反核」が、この時期、一世を風靡したのである。

「おー JAPAN」は、創刊4年にして、新しい政治組織の結成に向かう。「新しい民主の波」である。「おーJAPAN」創刊4周年記念号(1982年)は、この「新しい民主の波」結成記念号であり、そこに記念メッセージを寄せているのは、岩井章(総評事務局長)、土井たか子(社会党党首)、宇都宮徳馬(参議院議員)、野間宏(小説家)、宇井純らであった。

よど号犯グループにとって、恐らく唯一成功した「工作活動」だったろう。日本やヨーロッパで、政治意識に目覚め、しかし既成の党派の色のついていない“純粋な”な若者との出会いを可能にしたのである。それは、よど号犯グループの組織拡大と「日本人獲得工作」にうってつけの対象であった。

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宇井純氏や土井たか子氏らは、このよど号犯らにまんまと利用されていた。ヨーロッパで「おー JAPAN」に集まった若者らと面談している土井たか子氏の写真も存在している。この写真には、小川淳も映っている。

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ユニバース・トレイディング」への警察当局の捜査に関する声明

2007/05/02 14:09
救う会より先日の高知での福留貴美子さん救援集会の
際の記者会見の時のマスコミ配布の声明文が
回ってきましたのでご紹介します。



■ 「ユニバース・トレイディング」への警察当局の捜査に関する声明

私たち「救う会」は従来、福留貴美子さんが日本国内における北朝鮮の
ネットワークと接点を持つに至ったのは、彼女が勤務先の警備会社を退社し
、その後、保母の資格取得を目指して通った「東京教育専修学校」を卒業した
1976年頃であろうと考えて来ました。福留さんは卒業の際、子供の頃から
の夢であったモンゴル旅行を実現すべく「外務省」や「モンゴル大使館」を訪れ、
またモンゴルと同様の社会主義国・北朝鮮とも繋がりを持つ友好団体や
旅行代理店を訪ね歩きました。その際、不運にも北朝鮮と関わりを持つ人物の
目に留まったのだろうと今までは推測して来ました。
ところが今年3月12日付の『AERA』で、福留さんが警備会社で勤務していた
1973年頃、「ユニバース・トレイディング」という北朝鮮の工作機関に
よるダミー会社が入居する「東京卸売りセンター」(現「TOC」)の受付業務
に派遣されていたとの驚くべき情報が伝えられました。私たち「救う会」も、
その当時、福留さんと間借りの下宿(目黒区三田)で同居していた同郷の
親友の女性、そして同じ警備会社の社員であった1年後輩の同郷の女性の
証言によって、その裏付けを得る事が出来ました。
更には、「ユニバース・トレイディング」が入居したTOCビルと女性工作員の
アジト(共に品川区西五反田)と男性工作員のアジトのSマンション
(目黒区下目黒)、そして福留さんが警備会社の横浜の社員寮を出た後に
移り住んだ3ヶ所の下宿(目黒区三田 → 品川区上大崎 → 渋谷区恵比寿)
が、山手線・目黒駅を中心とした半径1.5kmの円内に全て収まるという
不思議な事実が浮上して来ました。言わば、工作員グループの<行動圏>と
福留さんの<生活圏>が重なり合う事の中に彼女を襲った悲劇の胞芽が潜んで
いるのではないかと推測するようになりました。しかも、「ユニバース・
トレイディング」の元・社員が「福留貴美子を知っている」と洩らしたとの
情報や、同社は中国貿易のみならずモンゴルとも取引を行なっていたとの話も
伝わって来ています。そして、「よど号」ハイジャック犯の田中義三
(本年1月死亡)の妻となった水谷協子の実兄は同社の社員とも言われ、
しかも同人は福留さんの母・信子さんの懐柔を企図した「よど号」支援者と
共にわざわざ高知県香北町の福留家を訪れているのです。
「よど号」ハイジャック犯の妻とされる女性の内の二人までもが
「ユニバース・トレイディング」と接点を持つという異様な事実は、
今後、徹底的に追及される必要があります。「よど号」ハイジャック犯
の柴田泰弘が逮捕された際に同社の社員N.Sの実弟N.Aの正規旅券を
所持していた事からも両者の密接な関係は明らかであり、
「よど号」ハイジャック犯の妻となった女性たちの出国の経緯や、
同社を舞台にした30人以上に及ぶと言われる<拉致>の真相の究明に
取り組む事を捜査当局に強く求めます。

平成19年4月28日

「北朝鮮に拉致された日本人を救出する高知の会」(救う会高知)
「北朝鮮に拉致された日本人を救う神奈川の会」(救う会神奈川)


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