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チュチェ思想研究会の研究B

2007/02/28 20:54
ダントンです。今回は尾上健一(チュチェ思想国際研究所事務局長)の
動画を見つけましたのでご紹介します。

http://hackjaponaise.cosm.co.jp/NorthKorea/bbslogs/nkoreabbs4030.html

より転載


尾上健一近影
http://www.pyonkoma.com/houdou81.asf

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チュチェ思想研究会の研究A

2007/02/23 21:40
ダントンです。今回はチュチェ思想研究会の研究した本ですが
なかなかありませんした。私もその道の専門家の方に聞きまして
一通り買ってみました。ダントンの読んだ範囲では以下の
三冊をご紹介します。
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@『謝罪します』  八尾 恵 (著)  出版社: 文藝春秋 (2002/06)  

http://www.amazon.co.jp/%E8%AC%9D%E7%BD%AA%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99-%E5%85%AB%E5%B0%BE-%E6%81%B5/dp/416358790X

この本は言わずと知れた元よど号妻の八尾恵元店主の手記です。この本の中で
元店主がチュチェ思想研究会にオルグさせる場面やチュチェ思想研究会の活動が
詳細に出ています。

A『北朝鮮 覇権主義への反撃』  :赤旗編集局  出版社: 新日本出版
http://www.shinnihon-net.co.jp/catalog/product_info.php?products_id=311

意外かも知れませんが社会党・チュチェ思想研究会の研究は日本共産党が
長年、やってきました。その意味でこの本では前回、投稿したチュチェ思想研究会
の基礎的な部分の資料が出てきます。ダントンも共産党の調査能力には舌巻きました。

B『社民党”崩壊記念”社会党に騙された!―”平和””人権”を貪った面々の裏面史 』
野村 旗守  出版社 宝島社
http://www.amazon.co.jp/%E7%A4%BE%E6%B0%91%E5%85%9A%E2%80%9D%E5%B4%A9%E5%A3%8A%E8%A8%98%E5%BF%B5%E2%80%9D%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%85%9A%E3%81%AB%E9%A8%99%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F-%E2%80%95%E2%80%9D%E5%B9%B3%E5%92%8C%E2%80%9D%E2%80%9D%E4%BA%BA%E6%A8%A9%E2%80%9D%E3%82%92%E8%B2%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E9%9D%A2%E3%80%85%E3%81%AE%E8%A3%8F%E9%9D%A2%E5%8F%B2-%E9%87%8E%E6%9D%91-%E6%97%97%E5%AE%88/dp/479663777X

この本も有名な一冊ですが社会党とチュチェ思想研究会の関係を資料等を使い
暴いた本です。野村 旗守さんは北朝鮮関係のジャーナリストしても有名です。
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チュチェ思想研究会の研究@

2007/02/21 15:12
ダントンです。今回から少しよど号グループの妻達の思想母体の
チュチェ思想研究会に関して分析をしていきたいと思います。
まずチュチェ思想研究会の基礎的なデータですが
  
『North Korea Today』
に基礎的なデータが載って有ったので転載します。

http://www.pyongyangology.com/index.php?option=com_content&task=view&id=81&Itemid=26
より

主体思想研究グループの概要メモ
主体思想(チュチェ思想)研究グループの設立および沿革
(Vladimir編・2006年10月版・本文敬称略)


1) 1971年(昭和46年)


 群馬大医学部中退、中核派に所属した尾上健一(昭和22年生まれ)らを中心に、在日朝鮮人のハンセン氏病患者と接触、連携を活動の中心といていたなどと言われている。主体思想を知り「群馬朝鮮問題研究会」(群馬朝問研)を結成。現時代の正しい指導思想とする主体思想にもとづいて日本人民がたたかっていく出発点・・・その活動のなかで育った青年たちによって、主体思想を全国に普及する活動の拠点となったのが群馬朝問研。規約に「党建設」を書いている。
 尾上氏、同年に北朝鮮を訪問。


- 群馬朝問研の活動


金日成主席の著作選集を毎週、数十ページ連続で学習。時には合宿も行う。
同時に主体思想を具現するための活動も進める。自分の生活する場で大衆運動を展開していく。学生であれば会員たちと協力して選挙に立候補し学生自治会や寮自治会の会長になったり、労働者は労働組合などの役員になるなど執行部の中に運動を担う仲間、主体思想を学ぶ仲間をつくらなければならないとする。


2) 1972年(昭和47年)〜主体研サークル


 法政大学の安井郁、立教大学の井上周八らが中心メンバーとなり、東大閥の日中友好団体に対抗してつくられた。当初は主体農法を日本に取り入れるよう農業問題研究会としてスタート。そのためには金日成の著作を読もうと、「金日成著作研究会」を結成。


- 「東京を舞台に主体思想を普及せよ」


92年4月30日「赤旗」から
74 年9月24日、金日成が、北朝鮮を訪問した在日朝鮮人の青年たちにたいしておこなった演説は(「わが国の情勢と在日朝鮮青年同盟の任務について」)でした。これは網領的な演説と北朝鮮側では称されているように、在日朝鮮人、在日朝鮮青年同盟の基本的な任務についてしめしたものと位置づけることができるものでした。この演説は、朝鮮労働党の「主体思想」でしっかり武装するということを強調し、とくに「みなさんは他国の青年にわが党の主体思想を広く解説し、宣伝しなければなりません。東京は世界各国の人たちが多く集まる大国際都市の一つです。みなさんがこの舞台をうまく利用すれば、わが革命偉業に多くの助力を与えることができます」と強調しています。つまり「主体思想」の外国人への普及を東京を舞台にして進めることを、国際的な任務として在日朝鮮青年同盟に指示したわけです。実際彼らは、この指示に忠実に従い、「主体思想」を日本人の中に持ち込むことにきわめて熱心だったのです。


3) 1974年(昭和49年)「青年チュチェ研」結成


 青年チュチェ研=日本青年主体思想研究協議会→金正日著作研究会全国連絡協議会1993年(平成5年)に発展したと見られる。
 金子恵美子(群馬チュチェ研)らは、組織拡大のため全国に散り、東京に同研究所を移す。同組織の存在が判明したのは、三菱重工爆破事件(連続企業爆破事件)の捜査の過程で「変な組織」があるということで警察が捕捉したことによる。


@ 青年チュチェ研は、主体思想による日本革命を本気でもくろむ。組織は党組織で、加盟には推薦人を必要とするところは共産党と同じ。
A  活動は、朝鮮の自主的平和統一を支持する日本委員会などの大衆組織に加盟活動、革命を目指すメンバーを増やしていくなど、民青と同じ。具体的に学生などは、長期の休みなどを利用して全国各地に「派遣」というかたちで任務を担う。三人一組で派遣された数は二百グループに及ぶ。重要な活動は、出版物の普及活動であり、また、朝鮮映画の上映会を開催し学習会に勧誘していくことなど。その後、親睦会などを開き、やってきた若者に住所と電話番号を書かせ、「映画の感想を聞かせてください」と言って訪ねていく。そして「金日成主席の主体思想を学ぶ学習会に参加しませんか?」などと言って仲間を増やしていく。ある程度仲間が揃うと、「派遣」された中核メンバーはその土地に「移住」し、支部をつくって本格的なサークルづくりを開始する。チュチェ研のオルグは、この「派遣と移住」と呼ばれる手法に基づく。
(八尾恵などがオルグされたきっかけは映画上映会。その後、主体思想に目覚めた八尾は北朝鮮へ誘われる)


(八尾恵・「謝罪します」文芸春秋刊から)
「日本青年チュチェ思想研究会」のリーダーは尾上健一という人物でした。彼は群馬大学医学部の学生でしたが、大学を中退したと聞いています。現在は日本キムイルソン主義研究会常任委員長兼チュチェ思想国際研究所事務局長です。
 彼の著書『輝かしい未来、あたたかい愛情』によると、学生運動の挫折を経て、新しい運動を模索している中で、被差別部落、在日朝鮮人やハンセン病といった社会の矛盾に関心を寄せていったそうです。草津の栗生楽泉園というハンセン病療養所で多くの在日朝鮮人の患者に出会い、「朝鮮について学ぽうとするなら、南だけでなく北について知らなくてはならない」という助言を受けて、七一年十月に朝鮮総聯群馬県本部を訪ねたということです。総聯青年同盟委員長から渡された『金日成伝』に感銘し、その年の十二月に群馬大学医学部校舎で、金日成主席の現地指導に関する記録映画『人民とともに』を上映し、これがチュチェ研の前身の「群馬朝鮮問題研究会」の結成になったと記しています。
  七四年五月に日本青年チュチェ思想研究連絡協議会第一回総会を開催。青年チュチェ思想研究会を全国に組織化する方針が出され、「派遣と移住」による活動で三年の間に日本全国で百を超えるグループができたということです。
  尾上氏は何度も北朝鮮に渡航して、朝鮮労働党から直接指示を受けて日本で活動しているようでした。労働党から勲章もいっぱい受けていました。
  私が大阪に来てすぐの頃、大阪支部での学習会に尾上氏がやって来たことがありました。彼は指導のために全国各地を飛び回っていました。ミーハーな私は、幹部の人から尊敬されている創始者に会えると期待に胸を膨らませました。
  尾上氏は、眼鏡をかけた丸顔の三十歳前後の男性で、落ち着いた話し方をする、どこにでもいるおじさんのような人でした。私は尾上氏と二人だけで話すチャンスに恵まれました。
「どうして研究会に入ることになったのですか」
  面接のように、彼は尋ねてきました。
「やたら元気いっぱいでいいですね。その元気さを活かしてください」
  チュチェ研会員は、生真面目な雰囲気の人が多く、何でもジョークでおもしろく返そうとする傾向のある私は異質な人間でした。明らかに浮いていました。
  尾上氏からは「感心ですね。一緒に勉強しましょう」と、言われたことも記憶しています。
  七月の終わり頃、世間では夏休みに入った頃でした。チュチェ研の合宿が修善寺の寺で行われることになりました。私は専門学校の実習勉強などで忙しく、はじめは行くつもりはありませんでしたが、説得されて参加することにしました。



4)訪朝


 1974年(昭和49年)、尾上健一(青年チュチェ研事務局長)、大広直(教職員チュチェ研事務局長)、花輪不二雄(自治労・世田谷区役所・全国チュチェ研事務局長)、栗木安延(専修大学教授・故人)。この時、北朝鮮から日本での活動方針を指示されている。


5) 1977年(昭和52年)


 尾上健一、1月に東京都文京区にて白峰社を設立。
 3月には青年チュチェ研の全国組織化が達成され、その後いくつかの地区が縮小される。全国に「移住や派遣」をしていったメンバーは、各地で少数ではあっても活動は継続していった。
この頃には、東京・渋谷に朝鮮映画の常設館が出来たことによって、東京では活動が一挙に大衆化され多くのメンバーが生まれる。
  この頃、日本共産党不破哲三に雑誌「前衛」で、金日成主義そのものを批判される。翌1978年「青年チュチェ研」を「自主の会」と名称変更、非公然化し、いままで非公然であった「青年チュチェ研」を公然化する。


8) 1978年(昭和53年)


 チュチェ思想国際研究所が東京に設立
 この研究所の活動範囲は、世界を対象としたもの。
 尾上健一事務局長、理事長井上周八(立教大教授)、他に事務局員数名が専従。そのうちの一人が森泰人(もり・ひろと)。森は日下美恵子(みえこ)と結婚、夫婦でスペインに行き年3回日本を往来。日下と離婚後森はオウム真理教の信者となる。(詳しくは2000年8月21日、28日「週刊現代」合併号”『オウム真理教と北朝鮮』の闇をといた”を参照)


 この研究所の維持費は全て総聯から支出されている。
金子恵美子は、新潟の責任者だったが既に出国、後任が森氏の元妻の日下美恵子である。新潟のメンバーには、倉田、はたの末子、平柳まゆみなどがいた。


「金日成主義を指導理論とする『前衛党』」
92年4月29日「赤旗」から


1980 年から81年にかけて、日本の金日成盲従集団は「日本金日成主義研究会」という団体をつくりました。前回のべた「自主の会」という組織との関係は、彼らによると、「自主の会」は大衆的な運動体で「かならずしも主体思想を学ばない団体も網羅」するが、「日本金日成主義研究会」はいわば「中核の育成」をはかる「前衛」の役割を果たすものだとのことです。「日本金日成主義研究」規約は、この会の「根本目的」を「現時代の唯一の指導思想である金日成主義を深くかつ系統的に研究し、日本人民の自主偉業の発展のために、もっとも正しく寄与していくこと」としています。そして会員は金日成主義を半年以上学んだ個人とし、会費の納入や研究会参加を義務とします。組織形態は全国委員会を最高決定機関とし、その常任委員会の下に地区委員会をおくという中央集権的なものです。つまり、金日成主義を指導理論とする「前衛党」を日本につくろうとしたのです。その全国委員会の報告文書はいつも、機関紙「金日成研究」に発表されています。しかしあの「自主の会」同様に、この研究会の機関メンバーは公表されていません。ただ、報告や論文の肩書きから、尾上健一がその常任委員長だということだけが公然化しています。82年4月、金日成は、その70歳の誕生日にあたっての演説で「現時代は自主性の時代」として「全世界の自主化」をとなえました。日本の盲従組織の責任者の尾上も、この年平壌で金日成に接見され、「日本の自主化」の任務を直接授けられます。「日本の自主化」を金日成が日本の政治家に直接要求したのは、84年9月18日、訪朝した日本社会党の石橋委員長にたいしてでした。「われわれは貴党が、今後も自主化の旗を掲げ、力強くたたかうことにより、日本とアジアの自主的発展に大きく寄与する事を期待しています。同時にわれわれは、日本社会党の各階層と自由民主党をはじめ各党、各派も、日本を自主化する神聖な事業に立ち上がることをよびかけます」(石橋委員長歓迎宴での金日成演説)


この日本の自主化という、北朝鮮独特で、日本語にはない用語を使った金日成の路線は、一体なにを意味するのでしょうか。「自主の会」の結成宣言によると、自主という言葉は、「チュチェという朝鮮語を日本語訳したときのひとつの言い方」で、そこには「人間の自主性を基本にして、自主的な日本をつくっていこうという」内容がこめらえているといいますが、我々の言う民族自決権擁護のたたかいとはちがう、観念的な概念にすぎません。


「自主化」−実は反共、反革新の路線


83 年8月、尾上は「自主の会」の機関紙「自主の道」10号に、「日本の自主化のための統一戦線」なるものを提唱した論文を載せて、革新三目標をかかげてたたかう日本共産党と自覚的民主運動への公然たる攻撃を開始しました。この論文は、戦前に、前衛党である日本共産党はいらないと主張した山川均の「共同戦線党」構想を高く評価しながら、革新三目標実現をめざすたたかいを「『革新三目標』達成後は、共産党の『網領』実現のための闘争が、」あらゆる反対派をおさえて展開される可能性が強い」と、日本共産党のセクト的な目標であるかのように歪曲して攻撃しました。


9) 1979年(昭和54年)


 日共から金日成の個人神格化を批判され「自主の会」を「日本キムイルソン主義研究会」と呼称を変え非公然化し、「自主の会」を公然化する。
 これらを掌握しているのが尾上健一。北朝鮮の社会科学者協会と直結。

※ 青年チュチェ研は日本赤軍との関係が噂されている。尾上は平壌で日本赤軍の塩見孝也(自主日本の会)と密会していたと噂あり。
※ この年の4月、家正治(キムジョンイル著作研究会全国連絡協議会代表世話人)が神戸市外国語大学の教授に就任。同大学生だった有本恵子さんがロンドンから拉致されるのは、この4年後である。なお、有本さんは須磨高校の(当時)朝文研に所属。

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10) 1984年(昭和59年)


 角田義一参議院議員を団長とする社会党群馬県本部の代表団が訪朝したのを契機に日朝友好連帯群馬県民会議が結成される。


11) 1987年(昭和62年)


 教職員チュチェ研の全国集会を県教組が中心となって開催。
 その年、県教組委員長を団長として訪朝団が組織される。また、80年から県教組は毎年の恒例行事として、朝鮮学校の授業参観を2月11日に「民族教育の日」として行うようになり、現在も続いている。実質、チュチェ研と日教組は組織上の関係はないが、会員は日教組組合員で、歴代会長は日教組幹部経験者がやっている。
 12年間にわたり日教組委員長として君臨した槙枝元文は、「私は訪朝して以降、世界の中で尊敬する人はだれですか。と聞かれると、真っ先にキム・イルソン主席の名前を挙げることにしています。」と2002年の金正日総書記誕生60年の祝賀メッセージで述べている。 THEMIS2003年3月号・・自衛隊を否定してきた槙枝氏だが、「強い軍隊を率いることは国の自主性を堅持する上で欠かせないこと」と、北の軍備には理解を見せている。
 91年には北朝鮮から「親善勲章第一級」を授与されている。


『発展するチョソンと教育』(73年)から


「キム・イルソン主席を父として、すべての人民が一軒の家族のように、ぴったりと呼吸を合わせ、輝かしい未来に向かって、チョンリマのように駆け続けている」(奥山えみ子日本教職員組合婦人部長 )
「この国の人々が、明るい未来の建設に身も心も捧げ、そしてそのために真剣に世界の平和を願い、日本の民主勢力の発展に期待する心をひしひしと感じ取る。日教組の任務と責任は大きい」(久保田欣一鹿児島県高等学校教職員組合執行委員長 )
……期待される民主勢力とは日教組のことか?


「 各界の指導者が30歳〜40歳が中心で若さのあふれた国だけに、10年後の共和国は南半分の統一も含めてすばらしい社会主義国として発展するであろうと確信した 」(藤田行雄三重県教組組織部長)


その他の北朝鮮礼賛発言については「北朝鮮礼賛集」が非常によくまとまっている。


12) 1989年(昭和64年)


 群馬県民会議と朝鮮総連の協力を得、主体思想研究全国集会を前橋で開催。


13) 1993年


「群馬キムジョンイル著作研究会」が結成。
4月13日、ニューデリーにて「国際金日成賞理事会」が発足
井上周八、国際金日成賞を受賞。北朝鮮で記念切手が発行さる。


14) 1994年、「金正日著作研究会」を結成


「日本金日成主義研究会」を公然化、尾上は常任委員長から抜けて、代わりに豊島区議大谷洋子が就任。「自主の会」が非公然化する。
T.B.ムルケジ/T. B. Mukherjee(アジア主体思想研究所所長/ Honorary President of the Asian Regional Institute of the Juche Idea)、 国際金日成賞を受賞。


15) 1995年


尾上健一、国際金日成賞を受賞


16) 1996年


尾上健一、国際金日成賞を受賞


17) 1997年、黄長Yが韓国に亡命


北朝鮮の主体思想研究所が解体したのを受けて、親朝団体の窓口だった対文協の勢力が弱まる。尾上健一、全世界の主体研に「釈明行脚」との噂。
ホセ・フランシスコ・アギラル・ブルガレーリ/Jose Francisco Aguilar Bulgarelli(主体思想国際研究所副理事長/Vice-director General of the IIJI)、国際金日成賞を受賞


18) 1998年


ペカ・ランタラ / Pekka Rantala(フィンランド主体思想研究会/ The Society for the Study of the Juche Idea, Finland)、国際金日成賞を受賞


19) 1999年


 


20) 2000年


ドラング・ アシファ ・ディアセニー/Dorank Assifat Diasseny(チュチェ思想研究アフリカ地域委員会委員長兼ギニア国防担当相 /Chairman of the African Regional Committee for the Study of the Juche Idea, Minister of Defence of the Presidency of Guinea)、国際金日成賞を受賞


21) 2001年、主体研に初の家宅捜査


 2001年9月18日、北朝鮮から帰国した「チュチェ思想研究会」(「自主の会」の前身)所属だった金子恵美子(よど号・赤木四郎の妻)の逮捕後、9月27日、10月5日と二度にわたる家宅捜索は、上の住所を含む七箇所に及び百余点の資料が押収された。
  これを機に、主体研メンバーの警察対策が強化されたと思われる。具体的には、核心メンバー間での「住民票の交換」等の、家宅捜索対策と言われている。


22) 2002年


ビシュワナス(Dr.Vishwanath Sharma)、国際金日成賞を受賞


23) 2003年、訪朝


 尾上健一・主体思想国際研究所事務局長一行、2003年4月に金日成誕生日である太陽節(4・15)に合わせて訪朝。尾上健一事務局長は14日、人民文化宮殿にて講演。


24)  2004年、朝鮮社会科学者協会代表団招聘


2004年10月9日 サンシャインシティ文化会館にて。
朝鮮社会科学者協会代表団(団長金哲浩、李幸浩、金三鍾)、 チュチェ思想研究会全国連絡会・花輪不二男事務局長(社民党都連都民運動局長/世田谷地区労顧問)、東日本国際大学・鎌倉孝夫学長、 日朝友好連帯埼玉県民会議・吉田昭次副議長らが参加。また、


集会後、朝鮮社会科学者協会代表団、在日本朝鮮人総聯合会中央本部の徐忠彦国際局長、チュチェ思想国際研究所の尾上健一事務局長、日本朝鮮文化交流協会の清水潤事務局長、関東学院大学の大内憲昭教授、朝鮮大学校のハンドンソン助教授、笠井博之・加須市議などが参加して懇親会がもたれました。 (「チュチェ思想」2004年11月号)


 注目すべきは朝鮮社会科学者協会代表団の一員であり、朝鮮社会科学院経済研究所所長の李幸浩が参加していることだろう。北帰者である李幸浩は、金日成総合大学で金正日の同級生。元通産省通商産業審議官・細川恒が李幸浩と京都府立桂高校での同級生。田中均は京都府立洛北高校出身だが、京大時代の先輩・細川と親しい関係にある。そのため金正日の「知恵袋」「事実上の側近ナンバー1」とも呼ばれ、田中均の「ミスター X」との噂高き人物でもある。


25) 訪朝


 2005年1月8日、 尾上健一・主体思想国際研究所事務局長一行が平壌に到着。


26) 現在


 尾上健一は 豊島区東池袋に出版社(白峰社)を構え、北大塚に託児所(つくしんぼ保育所)を経営。また、これまで経営していた池袋西口ロサ会館付近の飲み屋(「きさらぎ」→「竹」)は2004年時点で閉店が確認されている。
  池袋にはまた部屋(事務所)を二ヶ所(一説によれば三ヶ所)に持っており、練馬の自宅マンションは9階ワンフロアー(100坪)規模である。


 なお現在では、黄長Y亡命以降の井上周八らとの大論争の末、尾上健一が全国チュチェ研の実権を完全に掌握したとみられる。



(おわり)
転載終わり

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毎日新聞のスク−プ

2007/02/12 04:47
ダントンです。本日の朝刊各紙を見ましたが毎日新聞だけの
報道です。毎日新聞のスクープのようです。
よど号関係拉致被害者と他の拉致被害者との接点が
出てきました。真相の究明と一日も早い救援が待たれます。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070212k0000m040126000c.html
より転載

よど号グループ:拉致の2人 田口さんと同地区にいた
 よど号事件グループによって欧州から拉致された疑いの強い松木薫さん(当時26歳)と石岡亨さん(同22歳)が、国内で拉致された田口八重子さん(同22歳)と一時、平壌郊外の同じ地区の招待所にいたとみられることが分かった。拉致被害者の地村富貴恵さん(51)が、田口さんから聞いた話として関係者に証言した。2人は「『別荘がある』と誘われた」と語っていたという。「日本革命が目的」とされるよど号拉致被害者が他の被害者と同様の処遇を受けていた可能性が高まった。
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 富貴恵さんの証言によると、田口さんは平壌郊外の地区の招待所に80年ごろ住んでおり、近くの招待所に日本人男性2人がいたと話した。2人が「北朝鮮はいい所と聞いてきたが大したことなかった」と話していることも聞いたという。

 メンバーの元妻の八尾恵・元スナック店主の証言では、グループが有本恵子さん(同23歳)を「市場調査のアルバイト」とだまして拉致したことが判明している。新たな証言は、松木さんらも同様の手口だったことを裏付けるものだ。

 グループによって拉致された3人については、目的の違いから他の被害者と待遇などに差があるとの見方があり、これまでに判明している接点は、曽我ひとみさんとジェンキンスさんが百貨店などで、石岡さんや有本さんらしき2人を見た、とする証言だけだった。
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 富貴恵さんの証言では、富貴恵さんは、拉致された直後の78年9月から招待所で田口さんと同居していたが、79年11月に地村保志さんと結婚して別れた。その後、別地区の招待所に夫妻でいたが、84年秋ごろ近くの招待所に移ってきた田口さんから話を聞いた。富貴恵さんは「帰国して松木さんらに間違いないと思った」と話しているという。

 松木さんと石岡さんは、80年5月ごろスペインで失跡。88年9月に石岡さんが、松木さんや有本さんと北朝鮮にいることを実家に手紙で伝えた。失跡直前にバルセロナで石岡さんとメンバーの妻2人が一緒にいる写真の存在も判明。八尾元店主は「彼女たちが日本人男性2人を獲得したと聞いた」と証言している。

 よど号事件 70年3月31日、過激派の赤軍派メンバー9人が、羽田発福岡行きの日航機「よど号」を乗っ取った国内初のハイジャック事件。韓国・金浦空港で乗客を解放した後、4月3日に北朝鮮入りした。その後女性(妻)らが合流したが、01年以降妻子らは順次帰国。死亡や逮捕で、北朝鮮に残るメンバーは4人で、グループでは8人。83年の有本恵子さん拉致事件でメンバーの安部(現姓・魚本)公博容疑者が国際手配されている。

毎日新聞 2007年2月12日 3時00分
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本の紹介

2007/02/09 12:47
ダントンです。今日はバルタンのお勧めの本の紹介ですが
よど号関係とは関連が余りありませんが、中国の情報機関の
対日工作の実態を描いた『中国対日工作の実態―日本の中枢、政・官・財を篭絡する工作活動の手口』 福田 博幸 (著) 日新報道 です。この本は題名の通り、いかに日本の知識人などが中国に篭絡されるか描かれています。是非ともご一読下さい。


アマゾンより商品の紹介
転載

http://www.amazon.co.jp/gp/product/product-description/4817406364/ref=dp_proddesc_0/503-6456706-0643122?ie=UTF8&n=465392&s=books
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商品の説明

内容(「MARC」データベースより)
中国の対日本諜報工作は長期的であり、かつ巧妙を極めている。今や政官財から学界、マスコミまで着々と進む工作をはじめ、対日工作文書の全容、手口と成功事例、日本ではなぜか報道されない中国社会の実情などを説き明かす。

著者について
福田博幸(ふくだ・ひろゆき)  昭和23年 青森県生まれ 昭
和45年 拓殖大学卒業後KKラジオ関東入社。報道部記者。平成2年報道部課
長で同社退社。
平成6年東京MXテレビ開局に参画。平成16年同社退社。
この間、昭和54年から社団法人 日本生活問題研究所理事長。

主な著書に「勤労・国労を斬る」「全逓を斬る」「自治労を斬る」「過激派に蹂
躙されるJR」「日航機事故を利用したのは誰だ」などがある。

専門は公安情報の分析。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
福田 博幸
昭和23年青森県生まれ。昭和45年拓殖大学卒業後、KKラジオ関東入社。報道部記者。平成2年報道部課長で同社退社。平成6年東京MXテレビ開局に参画。平成16年同社退社。この間昭和54年から社団法人日本生活問題研究所理事長。専門は公安情報の分析(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

掲載終わり

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紹介

2007/02/04 13:41
ダントンです。今回は論文の紹介です。
政府が認定している事件以外の特定失踪者の調査活動を行っている
特定失踪者問題調査会の荒木和博代表が今月号の雑誌『諸君』で
「蓮池薫『工作員』説を徹底検証」と言う論文を書かれました。
論文中には福留貴美子さん拉致事件の関連の部分が有りますので
皆様、是非とも読んでみてください。
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『荒木和博BLOG』

http://araki.way-nifty.com/araki/2007/02/post_d360.html
より転載

2007年2月 4日
「諸君!」の拙稿について
以下は「調査会NEWS」 466号(19.2.3)で発信したものです。

 1日発売の「諸君!」3月号に掲載されている論文「蓮池薫『工作員』説を徹底検証」(連載している月報「北朝鮮問題」の特別版)について、色々ご評価をいただいています。これについては明後日(5日月曜)発売の「週刊現代」にも寄稿していますので、ご関心のある方はご一読下さい。

 拉致問題にハッピーエンドはありません。今帰国していない拉致被害者が帰ってきて個別に「よかった」ということはあっても、拉致の全貌が分かってくれば、おそらく「知らない方がよかった」と思うことが次から次へと出てくると思います。おそらく数十年の間、この国の政権は、それが怖かったから拉致問題を隠蔽してきたのでしょう。しかし、隠してきたことによって問題はどんどん膨らんでいきました。一種の「キャリーオーバー」です。

 私たちの時代にまたそれをやってしまったら、次の世代はさらに大きな荷物を背負わなければなりません。僭越ですが、ジャーナリストであれば表面的な動きを追ったり、官製の情報操作に振り回されるのではなく、問題の本質がど
こにあるのか、ぜひ突き止めていただきたいと思います。また、政治家であれ、官僚であれ、民間人であれ、拉致問題に何らかの関わりがあるのであれば、この時代を生きるものとしての責任を追うべきでしょう。

 今回の山拓訪朝などにみられる小手先での解決を目指す動きは、この逆で、本質をさらに隠蔽し、次の世代につけ回しをするものです。この動きには米国も中国も好意的に対応していると言われています。韓国盧武鉉政権も日本が拉致問題で踏ん張ることは快く思っていません。つまり現状は、周辺から「適当に矛を収めなさい」という圧力があり、国内でもその動きがあるということで、一つの正念場です。

 蓮池薫氏が本当に日本に戻っていたのか、今の時点では絶対とは言えません。しかし、可能性は十分に存在しますし、彼でなかったとしても、政府認定かどうかは別として、拉致被害者の何人かが日本に戻っていたことはほぼ間違いないと思います。

 昨年、横田めぐみさんの夫であった金英男さんがご家族と対面し、その後記者会見で北朝鮮の書いたシナリオ通りに話をしたとき、彼に怒りを感じた方もいると思います。しかし、怒るべきは金正日体制に対してです。高校生
を突然家族から引き離し、その被害者や家族の人生をめちゃくちゃにしておいて、さらに被害者や家族を利用してプロパガンダを行おうとする体制にこそ憎しみを持つべきでしょう。

 何事も問題を矮小化していた方が楽です。今柳沢厚労相の発言をめぐって国会では大騒ぎになっていますが、ああいう、敢えて言うならどうでもいいことで騒いでいた方が野党共闘もやりやすいでしょう。しかし、貴重な国費を使う国会でやるべきことは山ほどあります。全部はとてもできないのですから、優先順位をつけて行わなければなりません。

 いうまでもなく国会が最も優先的に取り組まなければならないのは国家の基本に関わる問題です。拉致問題について言えば、隠し続けてきた与党はもちろん自らは何も言いませんし、野党もかつて隠す方の側にいたり、場合によっては北朝鮮に協力していたりで、それぞれ下手をすれば藪蛇になる、したがって文句をつけやすいことを探して時間を費やす。これでは自らの責任を放棄したも同じだと思います。

 今回の「諸君!」「週刊現代」に書いた問題については今後も発言していくつもりです。ご批判も含め、ぜひご意見を寄せていただきますようお願いします。


転載終わり




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