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help リーダーに追加 RSS 福留貴美子さん拉致事件・告発状

<<   作成日時 : 2006/11/17 13:32   >>

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ダントンです。先日の高知の福留貴美子さん救援集会
は大成功に終わりました。集会に先立ち、救う会高知が
高知県警に福留貴美子さんの拉致事件に関する告発状を
提出しました。救う会の方から告発状を頂いたので
ご紹介します。

以下転載
画像


告  発  状

平成18年11月14日


高  知  県  警  察  本  部
本 部 長  鈴 木 基 久 殿



告 発 人     「北朝鮮に拉致された日本人を救出する高知の会」
(救う会・高知)会  長  森 田  和 博
住   所      高知県吾川郡いの町5271−4
電   話      088−892−5354


告 発 人     「北朝鮮に拉致された日本人を救出する高知の会」
(救う会・高知)副 会 長  山 村  稔 晴


告 発 人     「北朝鮮に拉致された日本人を救出する高知の会」
(救う会・高知)幹  事  中 平   明


告 発 人     「北朝鮮に拉致された日本人を救出する高知の会」
(救う会・高知)幹  事  上 野  一 彦



被 告発人     住所不明、氏名不詳の某





告発の趣旨

被告発人を、刑法第226条(所在国外移送目的略取及び誘拐)を犯した罪で捜査の上、厳重に処罰する事を求める。


告発にかかる犯罪事実

被告発人は、朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」という。)に在住する「よど号」ハイジャック犯グループ及び国内の協力者と共謀して、昭和26年12月17日に高知県香美郡香北町白川1312で生まれた(出生届は昭和27年1月1日)福留貴美子(以下「貴美子」という。)を日本国外に移送して「よど号」ハイジャック犯の妻にする事を目的に、当時、東京都渋谷区恵比寿に所在の貴美子に詐術を用いて昭和51年7月18日頃、日本から出国させ、第三国を経由して北朝鮮に移送し、略取等を行なったものである。


罪名及び罰条

所在国外移送目的略取及び誘拐   刑法 第226条


告発に至った経緯

1 被害者である福留貴美子は、昭和45年に高知県立山田高校を卒業後、綜合警備保障株式会社に就職し、大阪の「万国博覧会」会場での勤務を終えた後、東京に転勤し、品川区上大崎3−7−7の同社寮「ひかり荘」に居住した(添付資料1)。貴美子は、父親である福留正信がかつて居たモンゴルに憧れ、「卒業旅行をかねてモンゴルに行きたい。中国経由で行けるのではないか」と友人に話し、その機会に備えて旅行資金を貯めていた。貴美子の外国旅行の希望が実家に伝わった際、母親である福留信子は「一人で行くなどは危険」と貴美子を説得し、同人も一旦は了承したかに見えた。貴美子は昭和48年7月に上記会社を退職後、目黒区三田に居を移し、アルバイトをしながら幼稚園教諭の免許取得を目指して豊島区目白所在の東京教育専修学校(現在は東京教育専門学校)の夜間部に通った。貴美子は同校を昭和51年3月に卒業、同年6月30日にパスポートを取得する。同年7月18日、当時、渋谷区恵比寿のアパートで同居していた同郷の友人・〇〇〇〇(高知市〇〇〇〇〇〇〇)及び友人・〇〇〇〇〇(横浜市〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)に見送られた際、貴美子は「モンゴルには直接行けないから、人と落ち合う」と言い残し、その後、羽田空港から高校の同窓生の友人・〇〇〇〇(土佐山田町〇〇〇〇〇〇)に電話をして「これからモンゴルヘ行く」と伝えている。
 その後、北朝鮮における「よど号」ハイジャック犯グループの拠点である平壌の“日本革命村”で貴美子と共に過ごし、日本に潜入帰国して逮捕された八尾恵(「よど号」ハイジャック犯グループの一人である柴田泰弘と結婚)の著書『謝罪します』(文藝春秋)には、貴美子が皆の前で「モンゴルに憧れていた。そこに行く筈だったのにここに来てしまった」と話していた旨が綴られている(添付資料2)。

2 貴美子の失踪後、母親の信子は上京し、渋谷区恵比寿のアパートの部屋を整理した際、パスポートの申請用紙の下書きが見付かった。破られた用紙を繋ぎ合わせると、渡航先の欄に“モンゴル”と記されていた。しかし、実際に提出された申請書の渡航先は“スウェーデン”と記され、なおかつ事実としては香港から北京を経由して北朝鮮に入国したと思われる。
同年8月、国内の消印がある封筒の中の便箋に、ただ一行「暑中お見舞い申し上げます」と書かれた異様な手紙が実家に届くが、出国以降の貴美子の行方は不明のままだった。

3 当時、モンゴルは社会主義国家であり、北朝鮮と友好関係にあった。モンゴルへの一般人の渡航は困難であり、貴美子は手立てを求めて外務省やモンゴル大使館、そして民間団体である「〇〇〇〇〇〇〇〇協会」や当時は唯一のモンゴルへの窓口であった旅行会社の「〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇株式会社」等を訪れている。その民間団体の主宰者と旅行会社の役員を勤める人物は同一人であり、かつ同一のビルに所在(東京都千代田区〇〇〇〇〇〇)し、しかもその人物は「日朝文化交流協会」の幹部でもあった。

4 昭和54年8月、東ベルリンの消印がある貴美子の手紙が実家に届いた。この手紙には、ある共産圏の国にいる事、もう少し外国に滞在する必要が生じた事、生活には困っていない事等の外に、いとこの結婚式にお祝いを送る事が出来ないのでよろしく伝えて欲しい旨が書かれていた。同年4月に行なわれた結婚式を貴美子が知っていた事は、福留家周辺の情報を知る者が何らかの方法で貴美子に伝達が可能なルートを持っていた事を示唆する。
 これ以外にも、母親の信子が僅か5日間ほど入院した際、病院気付で小西の手紙が届き、信子がとても気味悪がっていた、との証言がある。福留家の動向を注視し、かつ北朝鮮と直結している事を信子へ知らしめたとも考えられる。

5 昭和55年3月9日、貴美子は日本に入国し、11日には1に既述の〇〇〇〇〇宅を訪れ、同所に二泊している。〇〇は「大阪へ行く」と告げた貴美子を新幹線の新横浜駅まで見送ったが、それ以降の貴美子の消息は不明であり、同年6月24日に大阪から出国した記録が残るのみである。
この時、貴美子にはすでに長女の広海が生まれており、三歳に満たなかったと推測される子供を北朝鮮に残したままでの入国だった。

6 昭和55年を最後として貴美子の消息は全く分からなくなったが、平成6年11月に突然、福留家に「娘を帰国させたかったら四千万円ほど用意して欲しい」との大阪訛の男の電話が入った。貴美子の不在を承知し、しかも福留家の資産についても何らかの情報を有する者の仕業と推測される。

7 平成7年春、ジャーナリストの高沢皓司が平壌の“日本革命村”で「よど号」ハイジャック犯グループのリーダーである田宮高麿にインタビューをした際、田宮の発言から新たな事実が判明する。
 田宮は、「よど号」ハイジャック犯グループの一人である岡本武について、従来は「北朝鮮の女性と結婚して同国に帰化し、日本へ帰国する意志は無い」と伝えられていたが、実は「結婚した女性は日本人であり、高知県の出身である。その女性は東京に在住していた。高校の時に剣道の県大会に出場した事がある」と明かした。更に田宮は「(二人は)連絡が付かない所にいる。こちらからは連絡の付けようがない」と高沢に語ったが、田宮の発言は一貫して岡本と貴美子の生存を前提に語られたものだった。田宮はインタビューを受けた後、同年11月30日に死亡するが、死因は心臓麻痺とされている。
高沢はその後、田宮が明かした特徴に一致する女性を捜していたが、『朝日新間』高知支局の協力を得て平成8年7月末に、その女性が福留貴美子である事が判明し、同年8月7日付けの同紙で報道された。

8 新聞報道後の8月22日、北朝鮮に在住する「よど号」ハイジャック犯グループの小西隆裕から貴美子の父親である福留正信に宛てた同月1日付の手紙(添付資料3)が、元「赤軍派」議長の塩見孝也によって福留家に届けられた。その内容は、「貴美子は岡本と結婚し、広海及び千里の二人の娘が生まれ事。昭和55年頃に岡本は「よど号」ハイジャック犯グループと別れた事。昭和59年に岡本と貴美子は招待所に移った事。昭和61年に岡本と貴美子は地方に働きに出た事。二人の娘は「よど号」ハイジャック犯グループが預かっていた事。昭和63年夏に朝鮮側から岡本と貴美子が土砂崩れで死亡したとの通知があった事。遺骨や娘たちの相談をしたいので北朝鮮に来て欲しい事」等々であった。この内容は、前年に田宮が高沢に語った事柄と全く矛盾している。
 更に小西は同年9月5日付けの信子宛の手紙で訪朝について塩見と連絡を取る事を促し(添付資料4)、また同年10月9日付けの手紙では信子の訪朝を重ねて促すと共にマスコミの報道を「自分たちの憶測に基づく誤った虚偽」と切り捨てた(添付資料5)。

9 貴美子の存在が明らかになると、にわかに「よど号」ハイジャック犯の支援組織である「人道帰国の会」代表の山中幸男らが高知を度々訪れるようになり、「日朝協会」高知支部の〇〇〇〇(高知市〇〇〇〇〇〇〇〇〇)や旧「日本社会党」の高知県議会議員であった〇〇〇(高知市〇〇〇〇〇〇〇〇〇)らと接触を繰り返した。〇〇は、8に既述の塩見孝也や旧「日本社会党」の衆議院議員であった故・井上泉に帯同するなどして再三にわたって福留家を訪れ、また信子に手紙を送り(添付資料6並びに7)、貴美子の死亡届を提出する事及び訪朝して遺骨を受け取る事、そして二人の娘の日本国籍の取得及び福留家への入籍を働き掛けた。更には〇〇が信子に対して「日朝友好親善各界代表訪朝団」に加わって北朝鮮を訪れる事を勧誘した(添付資料8)。信子は知人の〇〇〇〇〇に宛てた手紙の中で実名を挙げ、“あの連中”のやり方を強く非難している(添付資料9)。

10 平成8年12月25日、福留信子は代理人を通じて「よど号」ハイジャック犯グループに質問状を出し、貴美子の死亡について日時・場所等の基礎的事実について知らせがないのは余りに納得がいかないとして回答を求めた。これに対して小西隆裕から、第三者を介在させたくないので直接話をする旨の回答が平成9年1月15日付で届いた。また平成9年3月には小西から信子に電話があり、「娘さんの死亡届が出ていないではないか」と迫った。これらの要求に応じなかった信子は、平成10年5月27日付けで当時の外務大臣・小渕恵三に対し、貴美子の安全確保とその娘二人の帰国並びに真相究明を求める「要請書」(同書に記された信子の住所は、高知県香美郡香北町韮生野875番地)を提出した。

11 福留信子は平成14年1月12日、ついに再会が叶わなかった貴美子の身を案じながら死去した。信子死去後の同年9月10日には貴美子の長女・広海が帰国し、続いて平成16年1月13日には次女・千里が日本に帰国した。
貴美子の娘二人は今もなお「よど号」ハイジャック犯グループの他の子供たちと同様に支援者の下に置かれ、母親が日本国内において最後に向かった地である大阪で居住(東成区〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇)している。

12 次女・千里が帰国した際の成田空港での警視庁の対応を巡る民事訴訟において、同庁公安部の幹部は「(福留さんは)日本に帰国した際、友人宅に泊る等しており逃げる機会があった。海外の領事館で本人が旅券の更新をしている」との理由で「拉致被害者とは考えていない」との証言を東京地裁で行なったが、北朝鮮という特異な国家に拘束され、結婚から出産そして育児まで北朝鮮当局の統制・管理下に置かれた女性に、自らの裁量による自由な行動が可能だったとは到底思えず、更なる精査を望むものである。

13 今年2月に開催された「第1回日朝包括並行協議」において、日本の外務省が北朝鮮に対して安否確認を求めた36人の中に、福留貴美子が含まれていた。


告発に至った理由

 告発人は、「北朝鮮に拉致された日本人を救出する高知の会」(救う会・高知)のメンバーである。福留貴美子の救出を訴え続けた福留信子の死去後、その遺志を引き継ぐ親族は今や無く、貴美子の救出を目指す支援団体の為すべき責務として告発に至った次第である。
7に記した田宮の発言は、貴美子と岡本の生存及び両人が強制収用所等に幽閉されている可能性を示唆しており、一刻の猶予も許されない状況にある。
また、貴美子の娘二人は帰国後も「よど号」ハイジャック犯の支援組織の影響下にあり、しかも他の子供たちを含めて順番に北朝鮮へ渡航して思想等の点検を受けるという憂慮すべき状態に置かれている。
この様な現状を打開する為には、福留貴美子を国外へ移送する目的で略取した実行犯を逮捕する事が喫緊の課題と思料し、捜査の上で被告発人の氏名を特定し、逮捕した上、厳重な処罰が下される事を求めて告発状を提出する次第である。
最後に、実行犯の逮捕が、日本政府による福留貴美子の拉致認定、そして貴美子本人の救出及び娘二人の解放に繋がる事を切に願うものである。
以 上



添付資料


1 福留貴美子の二十歳頃の写真のコピー 1枚

2 福留貴美子が北朝鮮国内(「白頭山」と思われる)で、「よど号」ハイジ
ャック犯のリーダーだった故・田宮高麿の妻・森 順子と一緒に撮影され
た写真のコピー 1枚

3 「よど号」ハイジャック犯グループの小西隆裕から福留正信に届いた19
96年8月1日付けの手紙のコピー 1通

4 同じく小西から福留信子に届いた1996年9月5日付けの手紙のコピー 1通(1枚分欠落)

5 同じく小西から信子に届いた1996年10月9日付けの手紙のコピー 1通

6 〇〇〇〇が信子に送った2000年10月25日付けの手紙のコピー 1
  通

7 同じく〇〇が信子に送った2001年2月8日付けの手紙のコピー 1通

8 信子に訪朝を勧誘した「日朝友好親善各界代表訪朝団」派遣要綱のコピー 
1部

9 信子が知人の〇〇〇〇〇に宛てた2月12日付けの手紙のコピー 1通

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